庭では、ひと足お先にヤシオツツジが咲き乱れました。
なんとも青空に映えること!
ピンクのツツジにはひとつ個人的な記憶があって
旅行で行った長野県、至る所にツツジがたくさん咲いている、のどかな町を循環するバスに乗った時のこと。
『あれ、みて』と隣から指差さされ視線を送った先には、ツツジの横を、ツツジと全く同じピンク色の帽子をかぶった幼稚園生のクラスが列になって歩いていた風景。そのシンクロがなんとも可愛く可笑しくて、なんだか記憶に残っています。
その旅で見た湖の美しさや、温泉の気持ち良さ、旅館のご飯の美味しさ等々を差し置いて、何気なくバスの中から教えてもらった2つのピンクがヤケに刻まれる記憶のフシギ。
もうすぐくる桜の季節にもひとつ。
母がふと『桜って、幹はあんなにゴツくて黒くいのに、ずいぶんきれいな花をつけるわね〜なんでだろ〜??』
とひとりごちてた横顔。
少女のように本当に不思議そうにしていたのが、なんだか可笑しくて、この季節になるとふと思い出します。
育ててもらった三十年の中でもっとあったであろう思い出の中で、なぜか強く刻まれる桜の幹の汚さの件。
本人にしてみたら『え!?そこ!?』という意外なところが刻まれる記憶の面白さ。
何が残るから時が経ってみたいとわからない玉手箱。
よく『幸せはなるものではなく感じるものです』とか目にするとなんだか嘘くさいなとか思っていたけれど…
何気ない日常の片隅に愛しむに値する瞬間はたっくさんあるのだと思い知らされますね。
きっとだれでもあるんだろうな、意外すぎる記憶No1。
同じ時を過ごしても、同じものを見ても、感じる違いがあるからこそ楽しめるのかもしれませんね。
そんなピンクの記憶にちなんで今日はハートが咲いたカレー皿をご紹介させてください♪
…なんて、ブログ書いている矢先に、
『カレーつくりすぎちゃったから、食べに来ない?』と友人から入電☆
もちろん!ちょうど食べたい頃でした。
このお誘いのタイミング絶妙さではなく、カレーの人参の大きさなんかが妙に記憶に残ったりするかもしれないけれど。